もくじ
懐かしい風景
こんにちは!
絵本作家のまえだゆうきです^^
皆さんは「懐かしい風景」ってあったりしますか?
例えば
どこまでも続く田園風景
とか
夕暮れ時の団地
とか
雪国育ちの人だったら
雪の朝の登下校
とか
そういった「心の奥底に残っている景色」って、皆さん誰しもありますよね。
私は「葛飾北斎」が好きなんですけれども。あの浮世絵とか、波の絵も、なんだか懐かしい感じがしますよね?
(しますよね??)
自分たち江戸時代に生まれたわけでもないのに、なんで懐かしい気持ちになるんだろう??
不思議だなぁ…
こうゆうのを、「原風景」って言うんだろうなぁ。
そんな風に感じたりしました^^
絵本の世界の葛飾北斎?
さて、今日はですね
絵本の世界において、子どもたちの心に残る原風景を描き続けた。
いわば「絵本界の葛飾北斎」とも言える作家を紹介したいと思います。
絵本画家、赤羽末吉(あかばすえきち)さんですね。
代表作スーホの馬は、教科書にも乗っていた作品ですので、ご存知の方も多いと思います。
日本人としては初めて、「国際アンデルセン賞」を受賞した。世界を代表する絵本画家の一人の方です。(1980年受賞)
【赤羽末吉略歴】
1910年(明43年)東京生まれ、22歳より36歳まで旧満州国大連で暮らす。(スーホの白い馬のモデルとなったモンゴルへは、この時期に旅行で出かけている。)
1961年(昭36年)50歳にして絵本デビュー、以降日本の民話、昔話のみならず、創作絵本、海外の民話など多くの創作、挿絵を手がける。
1980年(昭55年)それまでの数々の功績を讃えて、国際アンデルセン賞を受賞。
1990年(平2年)逝去。
どんな絵本を描いていたの?
そんな赤羽末吉さんですが、手がけた絵本のラインナップがすごくて。
「桃太郎」とか「かさじぞう」とか
「舌切り雀」「くわずにょうぼう」
「かちかち山」「さるかに合戦」
もう日本人だったら誰でも知っているような民話だったり、昔話っていうものを絵本にしているんですね。
ただ、昔話って誰もが知っているから、あえて「なにがすごいか」とかは考えないじゃないですか?
桃太郎も、さるかに合戦も、「水や空気みたいに当たり前」すぎるっていうんでしょうか。
なので、ここからは
そんな赤羽末吉の昔話の、「なにがすごいのか」「どこがすごいのか」もっと掘り下げていこうと思います。
赤羽末吉の絵本のすごさ
【かさじぞう】
例えば、この絵本「かさじぞう」ですね。
かさじぞうが赤羽末吉のデビュー作なんですけれども。絵本を見てみると、絵がほとんど白と黒だけで表現されているんですね。
和紙の上に、薄墨(うすずみ)でシャーって描いて滲ませているんですけれども。
ほとんど色を使っていないにも関わらず、雪国の景色だったり、人が行き交う様子だったり、どんよりとした心の様子っていうのを、とっても上手に表現しています。
昔話という題材と、赤羽末吉の墨絵の表現が見事にマッチした作品ですね。
葛飾北斎もそうだと思うんですけれども。日本的な絵画表現、美意識っていうのは「引き算」で表されることが多いんですね。
色や線を足していく「足し算」ではなくて、線や色を省いて省いて、際立たせていく。
同じ雪をテーマにしても、やっぱり「アナ雪」とは表現に対する考え方が違うんですね^^
多分、ピクサーが「かさじぞう」をリメイクしたとしても、こんな風に渋く薄墨ではやらないと思います^^
【だいくとおにろく】
見てください、この遠くの方まで山々がのっぺりと続いていて、手前には朱色の橋がデーンとかかっていて、紅葉がちらほらと色づいている。
これも、墨だったり、日本画の絵の具を使ったりして、あえて「大和絵」っぽい表現を施しているんですね。
自分たちにとっては、当たり前すぎて気づかないことなのかもしれないんですけれども。
日本の「昔話や民話」に対して赤羽末吉さんが、墨や和紙を使った「日本的なタッチ」でちゃんと絵を描いたからこそ。
しっかりした「日本の懐かしい風景」
「美意識」みたいなものが、
絵本を通して、根付いていったんじゃないかなぁ。と思います。
赤羽末吉の絵本のすごさ2
赤羽末吉の代表作「スーホの白い馬」
この絵本をみるとすごくわかるんですけれども、赤羽末吉のかく絵本って、ものすごく「カメラワーク」だったり、「構図」にこだわっているんですね。
まるで、映画を見ているようなバッチリ決まった絵。
例えば上のモンゴルの風景
どこまでも続く地平線に、これから始まる物語の予感をぞわぞわと感じますよね。素晴らしいオープニングだと思います。
この絵、僕の好きな絵です。
モンゴルの町の風景にちょこんと、スーホを描くことによって、見ず知らずの町にやってきた異邦人という「心もとなさ」「自分が何者でもない」という感じ、人々の「無関心」
こういったものが絵を通して、伝わってきます。
旅の1ページですね。
場面変わって、競馬のシーン
モンゴルの真っ赤な大地をバックに、勢いよくかける馬たちがアップで力強く描かれています。
次のページでは、カメラをぐっと引いて
ロングショットで走り去るスーホと馬を写しています。
こういった演出に、絵本的というよりは「映画的な感覚」がすごく込められているんですね。
前のシーンから続けて読むと「ふわぁと風が頬を通り抜けていくような」そんな感覚になるから不思議です。
いやぁ、「スーホの白い馬」大人になって久しぶりに読みましたけれども、途中からは涙なしでは読めませんでした。
ぜひ、オススメです^^
日本に生まれてよかったなぁ
今回、赤羽末吉の絵本を色々読んでみて、しみじみ思ったのが。
こうゆう素晴らしい絵本を原語(日本語)で理解できるなんて「日本に生まれてきてなんてラッキーなんだろう」っていうことですね^^
そうゆう時ってありますよね?
例えば
お風呂上がりにコーヒー牛乳飲んでいる時とか
暑い夏にアイスクリーム食べたり、サイダー飲んだりした時とか
四季の移り変わりを感じた時とか
キャンプしたり、花火大会行ったり、紅葉狩りしたりとか
「日本に生まれてきてよかったなぁー」
って思いますよね^^?
(えっ?思わない??)
なにが言いたいか?って、そういった感覚って、「お金じゃ買えない」じゃないですか。
例えばアラブの石油王として生まれ落ちたとしても
「井之頭公園でお花見」とかしないし
「隅田川の花火大会」とか、行かないじゃないですか
なんていうか、そういったプライスレスな感覚、記憶っていうのが
それぞれの時代
それぞれの文化
それぞれの人たちが持っている
「原風景」
っていう事なんですよね。
きっと赤羽末吉さんの絵本を通して、そういった「風景」を受け取った子どもたちはたくさんいると思うし
僕が、夕焼けを見てセンチメンタルな気持ちになったり、四季の移り変わりに美しさを感じたりするうちの何パーセントかは、きっと赤羽末吉はじめ、たくさんの昔話や民話絵本のおかげなんじゃないかな?
そんな風に思います。
そういう意味でも、小さい頃に触れる「絵本」って、本当に大きな影響を与えているなぁ。って思いますよね^^
お金では決して買えない感覚だと思います。
まとめ
僕が赤羽末吉さんの言葉の中で、いいなぁ。って思ったものがあります。
赤羽末吉さんは東京に越してきた時、都営住宅の小さな庭にお花をたくさん植えて、咲かせていたらしいんですね。
そこに自分の子どもたちを遊ばせたり、していたらしいんですけれども。
子どもたちは、特にお花に興味を示すわけでもないし、愛でたりもせずに、遊びに夢中になっていたらしいんですね。
で、彼はそうゆう子どもたちの様子を見て
「子どもたちっていうのは、庭に咲いている花に気を払ったり、意識したりはしない。
でもその時、そこに咲いていた美しい花たちっていうのは、きっと子どもたちが大きくなった時に、心の何処かで作用しているだろう。
だから、僕たちの描く絵本っていうものも、そういった庭の花々のようでなければならない。」
っていう風に思ったらしくて。
そうだよなぁ、その通りだなぁ。って
しみじみ思ったことがあるんですね。
…
…
でも、これって別に「絵本」じゃなくてもいいと思うんですね。
みんながみんな、それぞれの仕事だったりとか
それぞれの関わりだったりとか
それぞれの環境の中で
タネをまいて、世話をして、花を咲かせて
庭をつくる
いつか未来の子どもたちが大きくなった時に
お風呂上がりにコーヒー牛乳とか飲んだ時に
「あぁ、日本に生まれてきてよかったなぁー」
そんな風に感じられるような
「懐かしい風景のある庭」
…
…
そんな庭造りに、自分はどうやって関われるかな?
どんなタネを植えようかな??
そんなことを赤羽末吉の絵本を読みながら思いました^^
皆さんの心の中の懐かしい風景。
たまには絵本を読みながら思い出してるのも、いいかもしれませんね^^
ここまで読んでいただいてありがとうございました!
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Writing by 絵本作家「まえだゆうき」
代表作「くもおとこ」「エスカレーター」など
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